女好きな女が新しい何かを見つけるまでのこと

20代一般女性が隙あれば自分語りをするブログ

たったひとつの冴えたやりかた〜チンコンを鎮魂する試み〜

※この記事は、下ネタを多分に含みます。もちろん書いてることは真剣なことなんですけど、下ネタ苦手な方は回避してください。

 

やぁ!みなさん!お元気ですか?私はとても元気です!

タイトルを見て、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの小説のレビューだと思った方、残念ですがここでお別れです。

この記事でこれから語ろうとするのは、おち◯ちんコンプレックス略して「ちんコン」のその後についてです。あ、私、女なのでおちん◯ん付いてないんですけど!私の「ちんコン」って何よ?と思った方はこちらをご覧ください。

 

opinkpink.hatenablog.jp

 

 

「結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。」

村上春樹著『風の歌を聴け』8頁 講談社文庫

 

 

例のちんコンなんですけど、今、少しずつ鎮魂されようとしています。鎮魂のためのアプローチを見つけたという方が正しいかも。

どういう方法かというと…引かないで聞いて欲しいんだけど…

「登場人物(女の子)にふたなりおちん◯んが生えたという設定でR18百合小説を書く」

という方法です。(ここでいう「ふたなり」とは男性器と女性器をあわせもつキャラクターが登場する創作ジャンルです。なお、ISやトランスジェンダーを愚弄・差別する意図はありません。)

 

要するに、もともと身体的にも性自認でも女の子である登場人物に何らかのきっかけでおち◯ちんが生えるんですね。

そしてその状態で女の子とセ◯クスをするわけです(真顔)

 

 

……だいじょうぶ?ついてきてる?

 

 

百合作品や百合関係が発生しているキャラの二次創作には結構多いんですよ。ふたなり

でも、私はちんコンのこともあって、少し敬遠するようなところがあったんです。

まぁ、読めるけど、すき好んで自分で書いたりはしないかな〜くらいの距離感。

 

そんな私に転換期が訪れました。

私は百合を愛するオタクで、同じく百合愛好家の皆さんと繋がっているTwitterアカウントがあるんです。

ある日、そのTwitterで繋がっている界隈に局所的なふたなりブームが起きまして、みんながそんなに言うならいっそふたなりと向き合ってみようと思ったんですよ。百合ジャンルすなわち女の子同士の恋愛・性愛における「おちん◯ん」って何なのかなって。

 

正直に言うと、ふたなりを取り扱った多くの作品は、勃起とか挿入とか射精とか、男女間のセッ◯スにまつわるあれこれを女同士関係にも適用して、「エロく」(「ヌける」ものに)するために、女の子に生やすんですよ。

初めはね、これ女同士のセックスの敗北なんじゃないかって思ってたの。

わざわざ女の子にそれを生やすのは、同時に気持ちよくなれて射精を伴う激しさのある「男女するようなセッ◯ス」が、単純な女同士のセッ◯スより“良い”っていうことなんじゃないかって。

書いてみて分かったけど、そんなことはないのよ。皆さんたぶん百合エッチをたくさん書いて、新しい刺激を求めてふたなりを書いてるのね。ラーメンの味変的なことだと思う。

でも当初の私は、ほら、例のちんコンを長らく患っていることもあって、ちょっと距離感があったの。

 

ところが、様々な作品を読んだりしているうちに気がついたの。ふたなり作品、男性器が生える方にも胸や女性器がついているものが多いということに。つまり「男体化」ではなく、あくまで「ふたなり」であり、ペ◯スだけが加算される感じなのね。

加えて、「胎児期に身体の性が分化していく際、男性ホルモンの作用によりク◯トリスの部分がペ◯スになる」っていう見解を思い出したの。

以上を総合した結果、こう思った。「そっか、創作におけるふたなりおち◯ちんって、クリト◯スが大きくなったものなんだ」って。だから、生える女の子には胸も膣もあるんだなって。

 

まぁ、そういう自分の考えをツイートしたらそれなりの賛同が得られたので、思い切ってちんコンのことも呟いてみたんです。

「わたしにはちんコンがあります」って。ちんコンの内容も軽く説明して。もはや信仰告白のような実直さよ。ほんと。

そしたらね、何と、同意してくれる人が結構いたんです……ちんコンに限らず、異性の体が羨ましいみたいな感情も含めて…

 

何だよ!!!みんなぁ〜芝の青さ感じてんじゃ〜〜〜〜ん!!!!!!

 

って思ったのよね。

 

全然わたしは異端じゃないなって思った。そして、そんな、ままならない私たちのために、誰かのために、何よりも私自身のために、自分が羨ましいと思うセ◯クスを書くことにしました。

現実では絶対起こりえないことを実現させるのが創作なんだとしたら、私のちんコンを書いたっていいはずなのです。

 

そんな紆余 曲 折 を経て、怪文書を作成し某サイトで公開しました。ストーリーは、何となく男女のするような性行為を想像してしまう主人公がうたたねから目を覚ますと、自分の思い描いていた通りにク◯トリスが伸長しておち◯ちんになっていた→主人公の彼女も受け入れてくれて滅茶苦茶セッ◯スするというものです

ここだけ書くと荒唐無稽ですね。いや、全体的に荒唐無稽なんですけどw

(とてもリンクを載せる気にはならないので、もし万が一「もしかしてこれかな〜」って思った人は、オタクをやってるTwitterの方にご連絡頂けますと嬉しいです)

 

局所的ではあるものの熱い感想や反応を沢山頂きました。

全然境遇の違う方(おそらくセクマイではない)でも気に入ってくださって、更に進んだ作品を書いてくださったりして…

 

物語で、主人公は「私は女」とか「こんなのは嫌、でも気持ちいい」って言うし、そんな主人公を恋人はすべて受け入れます。

書いていく中で、きちんと見ていなかった自分を知った気になりました。

勿論私が書いたものなんですけど、自分を超えていく感覚がしました。

 

私は女だし、ちんコンなんて抱えたくないし、でも羨ましくて、そんなどうしようもない自分を誰かに赦されたいんだなって思います。

 

冒頭に引用した村上春樹の文が何を言っているのか分かったような気がします。こんなどうしようもない自分を許すために、力の限り何かを書き続けようと思います。

 

完全な鎮魂はおそらくできないけれど、鎮魂のための試みをやめないことがきっと大切なんだと思いました。

私にとって、書くことが、あらゆるわだかまりを解消する、たったひとつのさえたやり方。

 

 

そんなふうに熱く考えてしまう程には、今、楽しいです。